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いよいよ明日は、第60回記念岡崎市民駅伝競走大会である。
市民大会であるが、すでに半世紀以上、60年という歴史ある
岡崎市の新春恒例のスポーツイベントである。

この大会の存在意義は、計り知れない。
年末の愛知県市町村対抗駅伝で岡崎市が2連覇、全国中学
駅伝で六ッ美北中が3位と好成績を収めることができたのも
この駅伝がなければ成し得なかったはずである。

09ekiden

昨日は、60回記念ということで記念祭が市民会館で開催された。
オリンピックのマラソンメダリストの有森裕子さんの講演もあって
とても良い話を聞かせて頂きました。

有森選手の粘り強さとあきらめない根性は、やはり中学時代に
培われたもので走るきっかけ、原点は、校内の体育大会3連覇
だったそうである。

小さな大会が自信となり、やがて大きな大会を目標に頑張る。
ひたすらあきらめずに走り続けることが一番大切。と話されました。

「自分で自分を褒めてあげたい…」と思うまで続けること。。
(↑未だに自分は、そんなところまで達していないですが…)
まさに、その通りだと思います。

以前ブログに書きましたが、自分にとってやはりこの駅伝が原点
だと毎年この大会が開催される度に改めて感じるのです。

自分も中学入学と同時に陸上競技部に入部。
少しだけ速かったので短距離から私の陸上人生がスタートしました。

しかし、速いと言っても所詮、小学校や中学の校内レベルでしたから
市内の大会に出ても当然のように予選落ちばかり、、(汗) 

そのうちに体育の授業で走り幅跳びがあって、これも皆より記録が
少しだけ良かったこともあって幅跳びに転向、、(笑)

所詮スピード不足でやはり市内の大会に出てもこれまた予選を通過
することは、一度もなく3回飛んで記録なしという散々な結果ばかり。
(でも走り幅跳びは、大好きでしたが。。)

そんな中1の夏休み。偶然、テレビで全国中学陸上選手権の中継
を見ていたら岡崎矢作中のS木選手(3年生)が3000mで接戦を制し
見事、全国優勝。感動で鳥肌がビンビンたちました。

市内は当然、県内でも別格の強さで有名だったのでS木選手は、
自分には、遥か彼方、雲の上の人のようでした。

このレースを見てますますS木選手に憧れてしまいました。
翌日の練習の時に、顧問のK先生に「先生、長距離をやりたい!」
と言った記憶があります。

しかし、直談判したのもかかわらず先生は、笑ってただけでした。
(多分、長距離は、無理だろうと思っていたのかもしれません。)
結局、1年生の秋までは、大会に出ても走り幅跳びで予選落ち。
辛い日々を繰り返しました。

1年の冬になりトラックシーズンが終わったと同時に市民駅伝の練習
参加するようになりました。(駅伝選手は、校内から速い選手を選抜)

インターバルや坂道を登る練習など長距離の練習は、予想以上に
苦しかったですが徐々に3年生にも付いていけるようになり市民駅伝
の最終エントリーでは、1年ながらAチーム(7人)に登録されました。

走り幅跳びをやってた自分がAチームに入れるレベルなので優勝を
狙えるようなチームでは、なかったですが先生は、3位以内を目標に
していたようでした。

当時の市民駅伝のコースは、現在のコースと違い交通事情もあって
市内の山間部を走るコースでした。

1区は、「華の一区」と呼ばれる3.5km。区間賞は、当然、矢作中の
S木選手がぶっちぎりで獲得。一般の選手を凌ぐタイムでした。

自分にとって初の市民駅伝は、3区(1.5km)のひたすら山を登り続ける
短いけれどポイントの区間を任されました。

我がチームは、1区がブレーキとなってしまいかなり後方での中継となり
焦った記憶があります。襷をもらったら全力で山を駆け上りました。

面白いように前を行くランナーを次々に抜きあっという間に走り終えて
次の区間へ襷を渡しました。20人以上抜き区間3位という成績でした。

結局、我が校は、8位で残念ながら入賞を逃してしまいました。
この結果には、顧問のK先生も悔しかったようで翌年からは、猛練習が
始まったのでした。
(↑顧問のK先生も小学校から転任されてきたので初の市民駅伝だった)

初の市民駅伝での成績がようやくK先生に認められた?ようで2年生の
春からは、800mに転向しました。市民駅伝の成績が走り幅跳びで毎回
予選落ちを続けていた自分がこれなら勝てる…という自信になったのは、
間違いありませんでした。これが新たな陸上競技のスタートでした。

その後、2年(区間2位)、3年(区間1位)と「華の1区」を走ったのでした。
当時、1区の区間記録は、憧れのS木選手の10分40秒。

その記録を目指した3年の時のタイムは、10分41秒。
僅かに及びませんでしたが高校・一般よりもタイムが良くて満足でした。

ちなみにS木選手の区間記録は、2年生の時のタイムなのでやはり別格の
強さを持つ選手でした。

自分の憧れでしたS木選手ですが、全中で優勝した時の、インタビュー通り
中学卒業と同時に本当に陸上を辞めてしまったのでした。

目標とする憧れのランナーがいなくなってしまったのは、とても残念で淋しい
出来事でした。

自分にとって市民駅伝がなければ、きっと3年間、走り幅跳びで予選落ちを
繰り返していたでしょう、、、間違いなく(笑)

その後、期待されて進学した高校時代は、故障や強豪校ゆえの選手、補欠と
チーム内での激しい競い、そして雑用など競技以外も辛い日々の毎日でした。

それでもようやく最終学年になって高校駅伝で都大路を走る事ができましたが、
決して「自分で自分を褒めたいです…」など言える成績は一つもありません。

今、思えば自分自身が満足できる競技人生では、まったくありませんでした。
あきらめるのがずば抜けて良い選手だったような気がします。(笑)

中途半端な思いで競技を辞めてしまったことを心の奥で、ずっと後悔してたと…
その思いが今マラソンを走ることの大きなモチベーションになってると思います。

いつか有森選手のように「自分で自分を褒めたいと思います。。」と言えるまで
これからもあきらめず走り続けたいと強く感じた昨日の記念祭の講演でした。

さて、明日のレースは、原点に戻って全力で走りたいと思います。

やはり自分にとっては、この市民駅伝がランナーとしての原点なのだから。。。

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2009.01.17 Sat l 駅伝 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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